2017年02月23日

私のこと

仙台に住んでまもなく9年になる、アラフィフの専業主婦です。
夫は転勤族のサラリーマン。

今まで叶えたいこと、欲しいものなどは、願えば、頑張れば、なんとか実現できたのですが、ただひとつ「子どもを生んで育てること」だけは、願っても頑張ってもどうにもなりませんでした。
妹はできちゃった結婚です。
30歳までに子ども2人を持つと言って叶えていった友だち、
1人目が大きくなったのでそろそろ2人目の準備を言ってその数カ月後に妊娠した友だち、
そういうのを間近に見ていて、私も自然に妊娠できるものと思っていました。

けれどなかなか妊娠しません。
検査だけでもと近くの産婦人科に行ったら、子宮内膜症との診断でした。それからは子宮内膜症の治療と不妊治療を並行して行いました。
子宝に効くと聞けば、たいていのことはやっていました。温泉、神社、さるぼぼ(飛騨高山で作られる子宝のお守りの人形)、ザクロ酢、などなど。ヨガや、布ナプキン、重曹生活もカラダに良いだろうから始めました。
父の具合が悪くなり、不妊治療を中断した時期もありました。
そんななか、突然の事故で思いがけずの手術と2カ月の入院、そのショックでうつ病まで併発してしまいました。
退院してまもなく、夫の転勤で仙台に越してきました。
前の病院からの紹介状を持って仙台の病院に転院したところ、ドクターとお話していて泣いてしまったことを覚えています。
入院で約10キロ痩せてしまったしまったカラダは、体重だけでなく体力的にもまだまだ完全に戻っていません。うつ病は退院して軽くなったと思いますが、新たに引越しのストレスが加わっていました。
私の状況を見て子宮内膜症の治療に専念しましょうとのドクターのアドバイスに従い、低量ピルを飲むことになりました。ピルを使うと妊娠は望めませんが、心身とも衰弱していた当時の私には救いの手のようにほっとしたのです。
しばらく妊娠は望めないけれど、治療して完治して薬を止められれば、まだチャンスはあるはずと私は信じていました。
それから3年後、生理がこなくなりました。ピルを飲んでいても、毎月きちんとあったのに。
閉経でした。
それからは更年期障害と戦いながら、現在に至ります。

今は山男の夫と二人、仲良く、ときにケンカしながらも、元気に暮らしています。
子どもを持つことは叶わなかったし、この先の将来についての不安もありますが、お互いおじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれる歳まで、なんとか暮らしていけたらと思っています。

今ではこんなに元気な私




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この記事へのコメント
なぁさん

読ませて頂きました。 
今は元気とのことで安心しました。
頑張りましょう。
Posted by まるとまると at 2017年02月24日 05:49
まるとさん、ありがとうございます。
人の優しさがとても嬉しいです。
Posted by なぁなぁ at 2017年02月24日 13:22
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